私の研究ノート

天文科学専攻 准教授
国立天文台 RISE月惑星探査検討室 花田英夫先生

花田英夫さんは月周回衛星「かぐや」のミッションで月重力探査の主任研究員を務めました。そのプロジェクトで作成した研究ノートを紹介します。

──研究分野は惑星測地学です。

「地球の重力測定から月の重力測定へ研究を進めてきました。最近は“測月学”といって、月の重力分布などから内部構造を調べて、月の起源や進化を解明しようとしています。1996年から始まったRISE月探査プロジェクトでは、月周回衛星「かぐや」を使って月の裏側の重力分布をはじめて探査しました。そして、表側とは内部構造が大きく異なり、地殻ができた当時の温度が違い、したがって固さが違う可能性を示しました。この観測をするための手法や装置の開発も行いました」

──どんな研究ノートを使っていましたか?

「基本ツールはA4サイズの白紙です。そこに、プロジェクトのすべての記録、開発スケジュールから、ミーティングの議事録や参考資料、観測手法・機器開発のアイデアなどを書き込み、また図面や装置の見積書・注文書はコピーをとって、さらに手紙・ファックス・メール、論文の原稿までを、当初は分類しないで日時順に重ねていきファイルしていました。ですから、プロジェクトで共有する研究ノートということになります。

「かぐや」は大きなミッションなので、14の観測装置(プロジェクト)に分かれていました。重力探査プロジェクトのメンバーは約70人。総研大の基盤機関(国立天文台とJAXA宇宙科学研究本部)の研究者だけでなく、他大学やメーカーの研究者・技術者、それに大学院生が参加し、観測機器の設計と開発、ソフトウエアの開発、運用など、多くのグループで構成されていました。プロジェクトの原動力となったのは、グループごとのミーティングやグループ間の調整会議、全体会議といったさまざまな会合です。それぞれで議論を重ね、合意した結果にもとづいて次のステージに移るという繰り返しでプロジェクトを進めていきます。

これらの会合ではかならず議事録が作成されました。打ち合わせは並行して開かれていて、週に数回もありましたから、議事録は研究ノートのコアをなす重要な記録でした。また、議事録にはその都度分厚い資料がついているので、どんどんたまっていきました。

議事録をしっかりとるということは私のまわりの研究ではそれまでなかった習慣でしたが、「かぐや」のプロジェクトに倣って、天文台の他の研究にも取り入れられるようになりました」

──議事録の作成者は?

議事録の例

RSAT/VRADミッション検討会(重力場データ)議事録の一部。
このミッションにはNASAが協力し、月周回衛星からの電波を受信したことがわかる。

「私が書くこともあるし、ほかの人がまとめることもありました。学生にやらせたこともあり、これはいい勉強になったと思います。

ミーティングなどで出た意見や議論、決定事項はその場でメモをとっておき、後で要点をA4版1、2枚にまとめて議事録の形にします。フォーマットは書く人によって違いますが、日時、場所、出席者、配布資料、議題、議事内容は必須です。ミーティングでのメモは手書きであっても、議事録はパソコンで作成するのが普通でした。

議事録を作成するこの過程は、学生にとって、思考を整理する恰好の訓練になります。ときには論文のテーマを見いだすきっかけになるかもしれません。ちなみに国立天文台では、これまで2名の総研大生が「かぐや」の月重力計測プロジェクトに参加しており、月探査機のVLBI観測の研究で博士号を取得しています」

──アイデアのメモとは?

花田先生のアイデアのメモ

月の重力分布を観測する「かぐや」のミッションでは、VLBI(超長基線電波干渉法)の手法によって子衛星(VRAD-1とVRAD-2)から発信される複数の周波数の電波(S-1とS-2)を地上のアンテナで受けると、電離大気によって周波数ごとに電波の遅れる影響が異なることを計算している。

「ミーティングですべての議題が決まるわけではありません。結論が出ないままの議題もあります。なかには個人レベルでじっくり考えないと答えが出てこないような議題もあり、持ち帰って非公式な場で検討することがありました。それも、頭の中で考えているだけではどうしても進まない。書いてみると、思考が整理されていきます。最後の手段は頭と手ですね。これがアイデアのメモで、ここは個人の研究ノートの性格を帯びてきます。これも整理してプロジェクトの研究ノートに加えています。いろいろな人がアイデアのメモを書くので、これも結構な量になります」

──プロジェクトの運営には時間の管理も重要です。

スケジュール表の例

「最初にプロジェクトの全期間にわたるスケジュールを立て、どのようなことを進めていくのかを書き込んだスケジュール表を作成します。そして、一定期間ごと、大きくは四半期ごとにどの段階にいるのか、予定通りに進んでいるかを確認し、修正が必要なときは調整します。

日常的な作業についても年間計画を立て、月ごと、さらに週ごとに見直して検討しました。

スケジュール管理は研究計画を意識することにつながります。これによって、計画性を養うことができますね」

アクションアイテム・リスト

次の会議で解決したものは■、未解決のものは□として残し、解決するまで消えない。

「管理ツールとしては、アクションアイテムも使っていました。会議では毎回、大量のアクションアイテムが出てきます。これは、いわば「宿題」。あまりためすぎると、プロジェクトの進行に支障をきたしますので、程よく解決していく必要があります」

──研究ノートはどのように活用していますか?

「議事録には、あるテーマについて、こういう意見が出たとか、こういう紹介があったということを書いています。それを後で見直して、検討することは多かったですね。

もちろん、アイデアのメモもその場限りで終わらせるわけではなく、検討を続けていきますから、それがブレークスルーにつながることもありました。

研究ノートにはプロジェクトの全記録が残るわけですから、プロジェクトの歴史を正確にたどることができます。先に上で述べたような研究計画の整理(スケジュール表)、学生の教育(議事録の経験)以外に、アーカイブとしての価値も高いと思います。また、研究ノートをプロジェクトで共有することによって、データの捏造を防ぐこともできると思います」

──研究ノートの保存と管理法は?

研究ノートのファイルを並べた書架

順不同で目的のものをすばやく取り出せるように、1冊ずつ色分けして、箱に入れて分類されている。

「研究ノートが膨大な量になると、過去の記録を見直そうとしたとき、時間が経てば経つほど目的のものを探し出すのに苦労するようになりました。検索が容易にできるようにしたい。そこで、時系列だけでなく、出所によって分類してからファイリングするようになりました。「かぐや」ではプロジェクトごとに分ける、また観測機器ごとに分ける、会議の種類によっても分けるなど、分類方法を年々改良していきました」

「ファイルの保存方法が大きく変わったきっかけは2011年の東日本大震災でした。本棚が全部倒れてしまい、その整理にかなりの時間をとられました。紙のまま保存しておくと災害時に失われる危険があると気づき、PDFにすることにしました。PDF化すると、分類もしやすくなりますし、検索も容易になります。PDFにした元の文書は一定期間後には廃棄するようにしたので、今では紙のものはほとんど残っていません」

──観測結果を研究ノートに入れることは?

プログラムの基礎となった計算メモ

子衛星から発信される電波は、異なる周波数を用いることによって電離層での影響を補正する必要がある。そのためのプログラムの基礎となったもの。

「観測データは個人では扱えないほどの量になりますから、研究ノートでは整理することができません。すべてサーバーに保存しています。観測日時なども記録されますから、検索も容易です。解析データも同様で、天文学の世界ではほとんどがデジタルで保存されています。

ただし、観測に至るまでの基礎データ、プログラムなどは研究ノートに記録されています」

──今後はさらに電子化が進むのでしょうか?

「PDF化すれば、すべての記録をプロジェクトのサーバーに保管することができます。議事録の作成にしても、私は得意ではありませんが、ミーティングの場でパソコンを使って打ち込んで作成してしまう。ホワイトボードに書いた図面なども、スマホを使って撮影すれば、元からペーパーレスにすることができます。

ですが、私が心がけているのは、会議の趣旨や結論をより的確に理解してもらうため、議題をより整理して書くようにしています。会議の場でははっきり言えていなかった意見も、こちらで想定して、強調して書いています。それは、パソコンで打ち込む過程でもできることですし、後で読み直して修正したり書き足したりすることでもできると思います。議事録は参加者全員に内容を確認してもらうので、書く人によって捏造されることはありません」

──では、捏造の問題はおこらない?

「この分野でもないとはいえません。ただ、それがどの段階で起きるかというと、たぶん論文にする段階でしょう。データを使って論文にするのは個人で、どんなデータをどのように使っているかはブラックボックスです。その段階で不正をしようとしたらできてしまう。もちろん、査読などの段階で見破られると思いますが。天文の分野は、観測された生データは、そのままでは何も見えないので、捏造のしようがない。そこが生物分野との大きな違いです」

──この研究ノートは異分野との融合にも役立ちます。

「私たちの研究ノートは、ごく一部の機密書類を除いて、グループの中のメンバーが自由に見られるようになっています。これまで外部の人に公開したことはありませんが、グループの研究ノートとしてきわめて客観的に記録していますから、汎用性が高い。他の分野の人が見ても参考になると思います」

Point

  • 研究ノートのコアは議事録とスケジュール表
  • 議事録作成は思考過程を養う訓練に最適
  • アイデアを発掘する糧になる
  • 活用するには検索しやすさも重要

(文/佐藤成美)