研究ノートの意義を考える③

研究を管理し、知的財産権を守る

総合研究大学院大学 教授
埼玉大学名誉教授 伏見譲先生

総研大教授の伏見譲先生は、研究ノートは知的財産権を守るための重要な資料としてとらえています。研究を管理するためにも必要で、今後はいっそう重要性が高まるといいます。さて、伏見先生のノートはどんなものなのでしょうか。

2年後の自分に「伝える」

写真1:伏見先生

先生の前の左にあるのが卒業生のノート、右がアメリカのラボノート

伏見先生(写真1)の専門は、生物物理学です。物理から生物物理、さらに分子生物学へと研究の幅を広げてきました。「化学、生化学や分子生物学の分野では、ラボワークに使うノートという意味で、研究ノートを『ラボノート』という場合が多いです」と伏見先生は分厚いノートを見せてくれました。先生が指導した卒業生のもので、大学ノート5冊を製本したもの3つの内の一つです(写真2)。伏見先生が以前在職されていた埼玉大学の研究室では、学生にノートを配り、ラボノートとして使ってもらいました。卒業後に、そのノート5冊ほどを単位として1冊に製本し、研究室で保管していました。伏見先生が在職したころの大学院には修士課程しかなく、2年で卒業すると、次の学生に研究を引き継いでもらわなければなりません。4月に新しくきた学生は、このノートを見て、これまでの研究を理解し、研究の続きを始めます。「2年後の自分に伝える気持ちで記録するようにと学生を指導しました」。

写真2:埼玉大学の卒業生のノート

研究室にいた間の実験ノートを1冊にまとめてある。

ラボノートは形式が決まっています。A4版の大学ノートを使い、右半分のページに実験方法や結果などを記入し、左半分のページは白紙にしておきます。実験室のすべてのことをラボノートに記入することになっており、左半分のページをメモ書きに使います。また、記録をなくしたり、持ち去ったりしないように、ルーズリーフやレポート用紙などをノートに使うことは禁止されています。糸で綴じたノートを使い、最初に各ページに通し番号をふっておくので、ノートのページを破ればすぐにわかります。西暦で日付を記入し、その日の内に書くことが原則。後からそのページに書き足すことはできないように、ページの空欄にはバツ印をつけておきます。これはノートの改ざんを防ぐためです。本来は、ボールペンか万年筆で記入すべきなのですが、伏見先生の研究室では鉛筆による記入も認めていました。第三者に内容を確認してもらうことも必要で、伏見先生は毎週行う学生とのミーティングでノートをチェックしていたそうです。

知財になることを重視

伏見先生は、東京大学大学院の学生だったときに、指導教官の和田昭允先生からこのノートの書き方を指導されました。ノートの形式は和田先生がハーバード大学に留学した時に学んできたもののようです。「和田先生がこのノートの形式にした理由は、研究成果の知的財産権(知財)を重視したからなのです。研究室では、ラボノートは後輩に研究を伝えることを主な目的にして、書き方を身に着けてもらいました。実際の研究現場では、知財を守るうえでラボノートはとても重要です」と伏見先生は続けます。

「日本では研究を基礎と応用のひとつの軸として表すことが多いのですが、科学を、純粋と応用、基礎と末梢の二つの軸で表し、おたがいにつながっていると考えるべき」と伏見先生はいいます。社会に近い、つまり商品などになるのが応用末梢科学です。社会にいちばん遠いのは、知識や原理を探求する純粋基礎科学と思われがちですが、「基礎」の本質からして、特に化学や分子生物学分野では、純粋基礎科学は応用基礎科学に直結することが多く(例:iPS細胞)、応用研究や商業的な利益につながり、知財になる可能性があります。そこで、アメリカではどんな研究であろうと、特許をとるのは当たりまえと考えられ、早くから知財を重視していたのです。

命の次に大事なラボノート

2013年まで、アメリカの特許制度は「先発明主義」でした。アメリカ以外の国は、「先願主義」で、最初に出願した人に特許権が与えられますが、先発明主義では、最初に発明をした人に特許権を与えます。つまり、発明者が特許を出願しても、先に発明した人がいれば、出願日に関わらず最初の発明者に特許権が与えられるということです。そのため、発明者は、発明した日を立証できるようにしておかなければなりません。

研究者にとっては、それは大きな負担なので、研究者が研究活動の内容を記録し、第三者による確認をとるためのラボノートの形式が考案されました。ラボノートは、研究者の重要な財産となるとともに、研究成果を知的財産権として保護する際の重要な証拠資料にもなります。

今から35年ほど前、伏見先生は、ゲノム解析の実験で広く使われているDNAシーケンサーという分析機器のアイデアを発見し、技官と修士の学生1名とともにアイデアの実証実験に成功しました。日本が知財を重視するようになったのは1990年代になってからで、そのころは大学の研究者に特許は関係ないという風潮がありました。しかしカリフォルニア工科大学からDNAシーケンサーがアメリカ特許に出願され、伏見先生は特許論争に巻き込まれました。結局、DNAシーケンサーはアメリカ側の特許となってしまいましたが、そのときノートの重要性を痛感したそうです。「研究室新人にラボノートの書き方を教えるとき、世界でただ一つのデータが書かれているラボノートは、命の次に大事なものだよ、と話している」と伏見先生。

アメリカの研究者に使われている市販のラボノートは、A4版のハードカバーのもので、表紙をあけるとノートの書き方や注意事項が書いてあります。結果などを記入するページには、すでにページの番号が印刷され、日付やサインを記入する場所があります。

大学の研究室のほか、バイオベンチャーなどもみなこれを使っています。バイオベンチャーでは、ラボノートの著作権は個人にありますが、ノートの所有権は会社にあり、金庫に保管しているそうです。最近では日本でも類似のノートが発売され、使っている研究者が増えています。

研究室のマネジメントに活用

今ではアメリカの先発明主義はなくなりましたが、知財やノートの重要性は変わりません。「ラボノートは研究のマネジメントに有効です」と伏見先生はいいます。研究室や研究プロジェクトにおいて、最大の研究成果を生み出すためには研究チームのマネジメントが必要です。研究室や研究プロジェクトでは、教授や准教授あるいは、PI(Principal Investigator)と呼ばれるリーダーが研究メンバーをまとめます。プロジェクトの人数が多くても、ラボノートを介して、研究の結果を共有することができます。また、リーダーはだれがどんなことをどれくらいやったのかをラボノートによって把握できます。すると、たとえば論文を書くときの著者をだれにして、だれがファーストオーサーになるのかを客観的に判断できます。ラボノートをもとに公平に評価できるので、みんなが納得でき、研究者のモチベーションが下がることはありません。ラボノートによって、情報をお互いに共有するだけでなく、情報を管理できるので情報漏えいを防ぐこともできます。ラボノートを活用すれば、研究のマネジメントができ、よい研究成果につながります。

「アメリカでは、大学でも研究所でもみなこのスタイルでラボノートが使われていますが、ドイツでは、ノートに記録せず、パソコンにいきなり入力している人もいました」と伏見先生は話すように、今後はラボノートも電子化が進むかもしれません。

実際に「電子ラボノート」が実験機器メーカーから販売されています。パソコンに入力するので、計算や分析が迅速にでき、実験の効率が上がります。また、内容を検索しやすいうえに、離れた場所にいる研究者とも簡単に情報を共有できます。研究者どうしのコミュニケーションをとりやすい一方で、他人が簡単に記入できるので、改ざんしやすく、証拠資料としての機能には不安があります。「セキュリティが改善されれば、ラボノートとして使うかもしれませんが、今の時点では紙のノートのほうがいいですね。これから10年たっても、大事な証拠資料となる紙のラボノートは生き残るでしょう。ただし、理論研究なら今でもワープロで十分です」と伏見先生は電子ラボノートを評価します。

先達を知ろう

伏見先生は「自分の研究がどんな位置にあるかを理解し、知財の重要性を重視してほしい」と述べ、ラボノートの重要性を強調しました。それに加え、「哲学のある研究をしてほしい」と若手研究者に向けてメッセージをくれました。海外の研究者に日本人の研究論文は信用できるがおもしろくない、研究の哲学がないといわれることがあるのだそうです。「研究の哲学とはむずかしいですが、それを身に着けるためには、自分の専門分野の先達がいかにその分野を切り開いたのかを知ることです。先達の研究に対する思いや方法論を勉強すれば、自分がどんなふうに研究すればいいかが見えてきます。私も尊敬する科学者「デルブリュック」、「アイゲン」、「マッハ」の伝記や自伝、論文などを読みあさりました。目的意識をもって先達の文献などを読み解いてみてください」と伏見先生は締めくくりました。

まとめ:伏見先生のノート

  • 形式が決まっている。
  • 実験室の記録はすべてノートに。
  • 知財を守り、研究を管理する。
  • 情報を伝え、共有する。

(文/佐藤成美)