私の研究ノート

比較文化学専攻 准教授
国立民族学博物館 菊澤律子先生

フィールドノートの束を手にして、「現地ではどこに行くにも、ノートを手放しませんでした。そのため、使いやすい大きさが決まってきました」と菊澤先生(左)。「手書きで克明に書かれていて、生の研究が伝わってきます」と木村先生(右)。

菊澤律子先生はオーストロネシア諸言語の現地調査による記述研究、および系統関係の研究が専門です。現地調査ではフィールドノートが必需品。フィールドノートを使った研究の進め方を、今回のプロジェクトの発起人である遺伝学専攻の木村暁先生がインタビューしました。

言語を科学する学問分野

木村 言語学は生物学を研究している私にはまさに異分野なのですが、どのようなアプローチをされるのですか?

菊澤 いろいろな言語を話せるようになる学問だと思われがちですが、私は「言葉を科学する学問」だと説明しています。話すことがマストではありません。言葉を対象にして、それを科学的に分析する。その中でも記述系の研究では、現地へ行ってそこで話される言語の構造や文法などを調べます。

オーストロネシア系の言語(太平洋に広く点在する島々とその周辺部で話される)を選んだのは、ヨーロッパ言語や日本語とはとても違っているように思えたからです。フィールドワークに行きたかったのですが、当時は学生が海外に行くのは簡単ではありませんでした。研究対象にしたフィジー語の調査に出かけたのは修士課程に入ってからです。このとき、現地調査の大切さを痛感しました。日本では、フィジー語の入門書を見ても、音の羅列のようで、言葉として頭に入ってきませんでした。現地に行くと、覚えた単語が指すものや概念がそこにあるので、一瞬で生きた言葉になり、話せるようになりました。

言葉は文化的な背景が違うと語彙が変わってきますし、概念も違ってきますから、現地に行き、話者と一緒に生活することが大事です。言語学の研究をするのだったら、無理をしてでもまずは現地に行ってみなさいと、学生にはアドバイスしています。

フィールドノートから研究が始まる

最初のフィールドノート(上)とその1ページ目(下)(1991年)。最初はとにかく、聞こえたまま書いていき、文脈から理解した日本語をつけています。

木村 現地調査でフィールドノートを使われるのですね?

菊澤 聞き取りをしながら自分で書いています。書き方は基本的に自己流です。言語データの記述の仕方は授業で指導されますが、ノートの書き方は現地で調査しながら、自分で編み出していきました。

フィジーの首都には、政府直属の言語文化研究所があり、当時、イギリス人のポール・ギャラティ先生がおられ、カンダブ島(フィジー諸島の中で4番目に大きい島)の村への紹介状を書いてもらいました。そのとき、「あなたのお名前は何とおっしゃいますか?」というカンダブ方言での言い方も教えてもらいました。私がフィジーの標準語で挨拶したら、相手も標準語で返してくるので、方言の調査ができません。方言で話しかけると、方言が返ってきますが、最初は何を言っているのかわかりませんでした。とにかく、言われるままに書き取り、覚えていく。とはいっても、言語学的な知識はありますから、標準語との対応で、推測はできるわけですが。

どこに現地調査に行くときでもそうですが、1日目と2日目は珍しさもあって楽しいのですが、3日目の朝は「またやるのか」という辛さがあります。そこを越えると、コミュニケーションがとれるようになり、現地の人も安心してだんだん普通に話してくれるようになります。

木村 そこから本格的な調査が始まるのですね。

フィールドノートの書き込み(上)と固有番号(下)。

菊澤 はい。そこからノートに書いていく内容は、文や語を書きとったもの、その用法チェックや文法チェック、録音した語りなど、さまざまになります。その内容がそのまま言語データになりますから正確でなければいけないので、大変な作業になります。書きながら自分で発音してみせ、間違っていたら直す。OKが取れるまで何回もチェックします。また、1人の話者ではなく複数から聞き取りをします。面白がって付き合ってくれる人だと時間をかけられますが、長く続けられない人の場合は短時間で切り上げないといけない。

私はボールペンで書き起こしをしているのですが、あとから意味を確認して鉛筆で書き入れたり、ほかの言い方があることがわかると、書き添えておきます。そして、ノートには1冊ずつ固有番号をうち、各ページにもページ番号を入れます。また、毎日、調査を始めるときに、日付や場合によっては時間、さらに、協力してくださる話者などの名前も書き込んでおきます。のちにパソコンに打ち込むときに、行番号を足したものが検索するときに必要な固有番号になります。

現地まとめはじめノート

「現地まとめはじめノート」。聞き書きの中でわかったこと、分析してみようと思ったアイデアなどを書き留めています。

こうしてこつこつと聞き書きを続けていくと、だんだん対象となる言語のことがわかってきて、いろいろな単語がどこで切れるのか、発音の体系はどうなっているのか、さらに動詞の次に目的語が来るといった文型がわかるようになります。

日本に帰ったら、フィールドノートの内容をすべてパソコンに打ち込み、データ処理ができるようにします。これをもとにして、リストを作成したり、解析のためのプログラムを書くこともあります。パソコンへの打ち込みはかならず自分でやります。内容の見直しにもなりますし、自分の頭の中でデータをトレースしているのですが、他人にやってもらうとそのプロセスが抜け落ちてしまうからです。その中で、フィールドでは分析しきれなかった言語現象が、理解できるようになることもあります。

フィールドノートの記録をもとにして作成したKWIC*検索リスト。

* Key word in context

ここまではデータの収集の話でしたが、収集が進むにつれて同時に頭の中で分析していきます。たとえば、普通名詞の前には冠詞が来る、固有名詞の前には違う冠詞が来るといったことです。

こうした分析の過程では、メモは全部とっていきます。それを繰り返していくうちに全体像が見えてくると同時に、学術的に面白そうなところが見つかります。そこにフォーカスして、より深く調査し、論文の形にまとめます。

木村 大きなレポートのようなものを書いて、それを圧縮して論文にするイメージですか?

菊澤 そうですね。圧縮するというよりは、その中の一部に焦点を当てて掘り下げるという感じです。記述研究の場合、論文に入れなくてはならない要素が決まっています。たとえば音韻の構造、句の構造、複文の構造があって、それらの要素が全部入っていないといけない。私の場合、わかるところから埋めていって、1か所に掘り下げていき、論文にしています。

動詞の用法について、聞き取りをしながらとったメモ。

動詞の形と文の構造の関係について収集したデータを整理したもの

動詞の形と文の構造についてまとめた修士論文の冒頭

言語の変化は遺伝と共通している

記述研究では、対象となる言語の現在の姿に集中することが多いのですが、私の場合は、ハワイ大学に留学して文法構造の変化を調べている研究者と出会ったことがきっかけになり、言語の構造がどのように変わるのかを調べてみようと思いました。そこで、フィジーにふたたび出向き、とくに文の構造が異なる5か所の方言を調べました。その後、フィジーだけでなく、もっと昔の先祖まで遡ったらどうなるかに関心をもち、オーストロネシア全体を見るようになりました。

木村 それは文献で調べるものなのですか?

菊澤 オーストロネシアには文献という形での古い記録がありません。そこで、今話されている言語を比較して、過去にはどうだったかを論理的に再構築していきます。そのために使うのは、さまざまな研究者が収集した現在話されている言語の記述データです。オーストロネシア系の言語の系統関係については、これまでに比較的よく研究されています。

具体的な単語で、オーストロネシアの諸語を比べてみましょう。このとき、形が似ているかどうかは重要ではありません。カバとクジラは、クジラとマグロより系統は近いですね。言語も同じなのです。

木村 え! 遺伝学の進化系統樹と似ているのでは?

菊澤 言語の系統論がおこったのは、ダーウィンの進化論が出て、言語も同じだろうと考えられたことによるのです。

オーストロネシア諸語の比較
地域言語名数字の3数字の5
台湾パイワン語təlulima
フィリピンボントック語tolólima
ミクロネシアポーンペイ語siluhlimau
ミクロネシアキリバス語teniuanimaua
ヴァヌアツヴァヌアラヴァ語niteltafalem
フィジーマズアタ方言ʔolulima
サモアサモア語tolulima
ハワイハワイ語ekoluelima
ニュージーランドマオリ語torurima
ラパヌイ(イースター島)ラパヌイ語torurima

たとえば数字の「3」を表す単語のパイワン語のLにあたる部分をみてみると、2つめのボントック語やポーンペイ語、ヴァヌアツなどでは同様にL、キリバス語ではN、マオリ語とラパヌイ語ではRになっています。同様に「5」を表す語を見ると、パイワン語でLの部分で他の言語でみられる子音が同じになっています。ほかの単語でも広くこのような対応が見つかると、それは元もとの言語が同じで、分岐していく中で音が入れ替わっていったと考えられます。このとき、どの音がどの音に変化しやすいかという傾向があります。

このような規則的な音対応は、音が遺伝子のようにどんどん入れ替わっていった軌跡を反映していて、変わり方の組み合わせによって、その集合体である単語が似て聞こえたり、違って聞こえたりするようになります。さらに、この考え方を応用して、文法の変化もとらえられるような分析手法を考えました。

マルチメディアの導入とリポジトリの活用

木村 言語の分析というのは膨大な作業だということがわかりました。

菊澤 手作業が基本になりますから。今は、パソコンが普及したこともあり、PCも使うようになってきました。

木村 フィールドワークの方法も変化してきているのでしょうか?

菊澤 私はもっぱら手でノートをとっていましたが、今は小型のボイスレコーダーができていますから、ノートをとりながら録音もできるようになりました。

木村 では、聞き取りをしながらパソコンに打ち込むことは?

菊澤 どうでしょうか? 私自身は現地ではパソコンを使いません。打ち間違いがあったとき、それがデータになってしまうのが怖いからです。

最近は、映像が撮れるようになったことが大きなメリットになっています。人が話すときには、うなずいたり、表情を変えたりと、視覚と聴覚を使ってコミュニケーションをとっています。ときには、同じ言葉を使っていても、ジェスチャーで方位の違いを表していることもあるのです。それは映像でないとわかりません。

木村 菊澤先生は文系だと思っていたのですが、作業自体は理系的だと感じました。統計学も使っていますし。

ところで、フィールドノートの保管には気を付けているのでしょうね。

菊澤 私はしっかり手に持って帰ります。今は、現地でコピーをとったり、スキャンしている人もいますね。

木村 リポジトリもできました。

菊澤 パラディセック(PARADISEC)というフィールドノートデータのリポジトリで、オーストラリアでできたシステムです。フィジーの恩師ギャラティ先生はノートをたくさんとっておられるのですが、その内容が全部出版されるわけではありません。ノートが埋もれてしまうのは惜しいので、リポジトリに入れたいと画策しているところです。

Point

  • 現地で聞き取った文や単語と関連情報はすべてフィールドノートに記録
  • ノートの内容はすべてデータとしてパソコンに入力
  • パソコンに打ち込む時点で固有番号を振り、検索に備える
  • デジタル化する過程で、分析のアイデアも整理

(文/福島佐紀子)