研究ノートの意義を考える①

研究ノートを研究と教育に活用しよう

生命科学研究科 遺伝学専攻 教授
遺伝学研究所 細胞建築研究室 木村暁先生

実験の結果を記入したり、フィールド調査の記録をしたりと、研究ノートは研究者にとって欠かせないものです。研究ノートはとても身近なものですが、これまでそのあり方について研究分野を越えて議論されることはほとんどありませんでした。そこで、総研大では、「よい研究ノートとはどういうものなのか」、「研究ノートを教育や研究の場にもっと活用しよう」など研究ノートのあり方について考える研究プロジェクト「研究記録を通じて融合的研究をすすめるための研究会」が始まりました。今回はこの研究会の発案者である国立遺伝学研究所細胞建築学研究室教授の木村暁先生に、プロジェクトの目的や木村先生にとってのノートの意義についてうかがいました。

細胞のデザインをさぐる

木村先生の専門は「細胞建築学」です。細胞建築学とは、聞き慣れない言葉ですが、これは木村先生が名付けたもので、分子が集まって細胞が組み立てられることを意味します。「細胞にはさまざまな種類があり、細胞内には核やミトコンドリアなどの細胞内小器官があります。どの細胞もサイズや種類に応じて見事なバランスで細胞内小器官が配置されています。細胞は生命の最小単位であるとともに、自然が作り上げた建築物と考えられるのです」と木村先生。分子がどうやって集まって、細胞という構造体をつくり、機能するのかということを、個々の分子や細胞内小器官ではなく細胞全体から解き明かそうとしています。センチュウという小さい生物を実験材料にして、細胞の観察や遺伝子解析、コンピュータシミュレーションなどで解析しています。たとえば、微小管が引っ張られる力を計算することで、細胞分裂のときに現れる紡錘体の長さが細胞の大きさに応じて調節されるしくみを明らかにしました。「細胞が形作られるしくみをなるべく単純なメカニズムで説明したいのです」と木村先生は話します。細胞のしくみの解明に力学の視点でアプローチするというユニークな研究です。

毎日論文を書いているようなもの

写真1
国立遺伝学研究所細胞建築学研究室教授
木村暁先生

「私流のノートの取り方を自分の研究にあわせてアレンジして試してみてください」と若手研究者にアドバイス。

さて、木村先生はどのように研究の記録をとっているのでしょうか。早速、ノートを見せてもらいました。木村先生の手にあるのはA4版の黒い表紙のノートです(写真1)。これは市販の研究用のノートだそうです。「私のノートは、毎日論文を書いているようなものです」と話すように、ノートの構成は論文と同じようになっていて、「タイトル」、「日付」、「目的」、「方法」、「結果」、「考察」などの事項が箇条書きで示されています。そのため、第3者でも一見するだけで、実験の内容を論理的に理解することができます。目的に加え、研究の「背景」や「基礎情報」も書いてありますので、自分がどうしてこの実験をしなければならないのかをすぐにつかむことができます。煩雑な実験になるほど、操作に気をとられがちですが、ノートを見返せばすぐに目的を思い出すことができ、実験内容を客観的に理解することができます。

写真2:木村先生のノート

実験の目的や結果の予測などびっしりと記録してある

さらには、「操作成功の基準」、「実験成功の基準」、「実験成功の場合の次の実験」、「結果の予想と対策」といった一般的なノートには見慣れない事項も記録されています(写真2)。「ノートには実験の条件やサンプルのロットなど細かい情報を記録しますが、さらに実験の基準や対照を詳細に書く点が特徴です。記録する事項が非常に多くて大変だし、時間がかかると思われるかもしれません。でも、ノートを書くことでデータを得るために必要な条件が絞られるので、結果的には無駄な実験をしなくてすみます。実験のトータルの時間は変わりませんよ」と木村先生は話します。

実験では、対照(コントロール)や基準(クライテリア)をどう設定するのかが大変重要です。実験で一見良さそうな結果がでたとしても、対照や基準がきちんと定められた実験でなければ、その結果の解釈を誤ってしまうからです。実験の成功のカギをにぎるのは、対照をどうおくか、サンプルの種類はどれくらいにするか、実験を何回繰り返すのかといった、実験の組み立て方なのです。実験を組み立てる力はすぐに身につくものではありませんが、ノートを書くことでそのセンスが磨かれます。

ノートは実験を記録するのではなく、考えることと結び付けられるようになっていて、研究力に不可欠な科学的な思考の訓練や論文の書き方の練習になります。ノートには実験記録と研究力の向上というふたつの目的があります。

恩師の指導がきっかけ

木村先生がこのようなノートの書き方に至ったきっかけは、学生時代の体験によるものです。指導教官である東京大学の堀越正美先生からノートのつくりかたを徹底的に指導されました。研究室に入るとまず「自然科学入門」というテキストのコピーを配られました。堀越先生の恩師である水野傳一先生が書かれたもので、研究者の心構えが詳しく書いてあります。このテキストをもとに指導を受けました。先生からは、研究ノートは結果の再現性が一番の目的である、ノートを書くときは自分がどういうつもりで実験を始めたのかを常に自覚するために目的を書くこと、実験に対する考察や反省を細かく書くこと、次の実験への計画まで盛り込んでストーリー性を持たせること、などを教わりました。

続いて「ピペットの検定」、「びん洗い」「試薬づくり」のプロトコールを書き、実行するという課題が出ました。たとえば、5 mol/LのNaCl溶液を調製するという課題では、溶液を調製する方法だけでなく、できあがった溶液の濃度が正しいかどうかをどう検証するかまで事前に記録する必要がありました。実験操作そのものは簡単なはずですが、指導教官に何度もノートを見せて、お互いが納得してはじめて実際の実験にすすみます。ずいぶん考え、先生と議論するうちに、実験の組み立ては結果の予測をしながら行うこと、そして信用できる実験結果を得るためには、実験のクライテリア(基準)やコントロールの考え方が重要なことがわかってきました。

「毎日きちんと実験ノートを書いていれば、論文執筆を含め、研究全体のトレーニングになるという考え方を学びました。この体験から、ノートは研究者を養成するための教育ツールになると確信しています」と木村先生は話します。

研究分野が違うとノートも違う

「私が先生から教わったノートのとり方は、やり続ければ必ず研究の力が身につくので、この考え方を広めたいと考えています。そのときに他の分野の研究ではノートをどのようにとっているのだろうかと疑問に思いました」と木村先生は続けます。そこで、工学系や情報系など木村先生とは異なる分野の研究者に研究ノートについて尋ねてみました。すると研究者によってノートの考え方が違うことを知り、驚きました。

研究ノートは、研究をするのには欠かせないツールであることは、どの分野においても共通ですが、ノートの作り方はそれぞれ個人の流儀があります。木村先生のように指導教官から指導を受けた人もいれば、全くの自己流の研究者もいます。また、木村先生のように実験が中心の研究者もいれば、文系の研究者のように実験をせずに過去の文献などから研究の材料を得ている人もいます。このように研究のアプローチの違う研究者のノートにはどんな違いがあるのでしょう。また、木村先生のノートの取り方は他の分野の研究でも有効なのでしょうか。

「これまで、他の分野の研究者と研究の記録についての情報交換をする場はほとんどありませんでした。そこで、いろんな分野の研究者とよい研究ノートとはどんなものなのか議論したいと思ったのです」と木村先生は「研究記録を通じて融合的研究をすすめるための研究会」を発足した理由を語ります。どの研究分野でも共通する研究ノートを切り口として議論をすることは、異分野の相互理解を深めることにつながると木村先生ら研究会メンバーは考えています。また、議論の成果を、研究者をめざす大学院生などへの効果的な指導方法につなげていくのが目的です。「IT技術が目覚ましく進化していますから、記録の仕方も電子記録に変わっていく可能性があります。電子化が進めば、研究記録を容易に公開することができ、科学のありかたが変わるかもしれません。新しい科学のあり方も模索していければいいですね」と木村先生は最後につけ加えました。

まとめ:木村先生のノート

  • 目的、方法、結果、考察をすべて記入。
  • クライテリア(基準)とコントロール(対照)を明確に。
  • 論文を書くつもりで、ストーリー性のあるノートづくり。
  • 研究のトレーニングにノートを活用。

(文/佐藤成美)