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総研大生及び修了生による論文解説

上田秋成の時代―上方和学研究―

 一戸 渉(慶應義塾大学附属研究所斯道文庫 准教授、日本文学研究専攻修了)

2017年7月28日掲載

はじめに

ぺりかん社より2012年に上梓した拙著『上田秋成の時代―上方和学研究―』は、2009年度に総研大へ提出した博士論文を母体に、加除修訂を加えたものです。この文章を書いているのは2017年のことなので、8年も前に主要部分をまとめた本について改めて述べるのも、いまさらめいた感がないではないのですが、学融合推進センターの担当の方から、このコーナーの最初の例としてぜひ著書の紹介文をと、たっての御依頼を頂戴しましたので、記憶の糸をたどりつつ、以下に紹介を試みてみます。とはいえ500ページ近い分量のある本でもありますから、ここでは個別の議論を詳しく紹介することはせず、いくつかのキーワードを取り上げて解説しながら、本書がどのようなもくろみのもとに、何を明らかにしようとしていたものであるのかを、なるべく専門外の方にもご理解いただけるような形でお示ししてみたいと思います。

キーワード1「和学」

副題に使われている「和学」はなじみの薄い言葉かも知れません。これは平たくいえば日本学、つまり日本を対象とした学問一般のことで、対となる言葉は漢学です。近代以前の日本が、中国から多くを学んでいたことは周知のことでしょうが、そうした漢学の存在がある一方で、自国の文化や歴史、宗教、法制などについての研究(和学)もまた連綿と行われていました。この和学という語の内部には、日本文学研究が主として取り扱ってきたような、平安王朝期に盛時を迎える和歌や物語などといった日本独自の言語芸術についての研究ももちろん含まれてはいるのですが、それだけなく今日でいうところの史学・宗教学・法制史・美術史などといった人文系の学問分野の一切が包含されています。現代の感覚からすれば未分化で雑多なものにすら見える前近代の和学も、当時の人々からすれば、とくに不自然なものではなく、ひとりの和学者が複数の領域にまたがった業績を遺していることはなんら珍しいことではありません。また和学に携わったひとびとは例外なくその知識に基づいて和歌を詠み、文章を書く、創作者でもありました。本書では、和学を、いにしえの日本の文物をめぐる研究と、それらに基づいて行われた歌文の創作などの実践一般を指す、ごく緩やかな概念として捉え、そうした立場から、江戸時代における和学が持っていた広がりを、なるべく当時の姿のままに受け止めることを試みています。

キーワード2「古学」

和学という営みはつねに、いにしえへの準拠を志向するものでした。ものごとの正統な由緒を見極め、古代の文物を正しく理解すること、そしてそれらの諸知識に基づいて現実社会に何らかの形で働きかけを行っていこうとする点に和学の存在意義がありました。本書は江戸時代の和学を論の対象としていますが、もちろん和学は江戸時代になって初めて出現したわけではありません。しかし、江戸時代は和学史の大きな転換期にあたります。17世紀中葉より、日本は商業出版の盛時を迎え、それまで写本でのみ、ごく限られた範囲で読まれてきたさまざまなジャンルの古典が次々に出版されることになり、その結果、書物の入手にかかるコストは大幅に縮減しました。書物の流布によって、和学に携わる人々の幅も格段に広がり、それまで主として和学の営為を担ってきた朝廷や公家周辺からは一定の距離をおいた所から、旧説への鋭い批判を展開するような人物が登場するようになります。主な人名として契沖・荷田春満・賀茂真淵・本居宣長などが挙げられますが、通例、彼らのような人物を国学者と呼び、その学問を国学と呼んでいます。ここで詳しく説明する余裕はありませんが、いくつかの理由から、本書では彼らのように17世紀末以降に登場し、出版され公開された多様な文献資料に依拠しながら旧説を乗り越えようと試みた和学内部のひとつの潮流を古学(派)と呼んでいます。この古学が近世期の知識人社会に広く浸透し、大きな勢力となったのは、当時の人々の証言や出版動向などから判断する限り、18世紀後半以降のことと考えられます。本書では和学史上の転換点といえるこの18世紀後半から19世紀初頭の時期に着目し、江戸の地に比して伝統的な和学の磁場の強い上方地域において、新興の古学がどのような人々のあいだでまず受け止められ、また展開していったのかについて、いくつかの人物を取り上げて論じています。

キーワード3「上田秋成(とその周辺)」

そうした人物の中でも、本書では上田秋成(1734-1809)という人物に大きくスポットを当てています。大坂生まれの秋成は、溝口健二監督の映画作品(1953年製作)の原作としても著名な怪談小説集『雨月物語』(1776刊)の著者として、今日の日本文学史において確固たる地位を占めています。とはいえ秋成の活動全体を見わたしてみると、小説の創作が占める割合はあくまで一部分に過ぎません。今日残されている秋成の業績の大部分は、契沖や賀茂真淵らの影響のもとに行われた日本の古典研究、そしてその知識をもとに創作された和歌や和文の類です。もちろん、秋成ほどの著名人であれば、先行研究も汗牛充棟、『雨月物語』をはじめとする作品についてはむろんのこと、和学者としての秋成についてもすでに先学によってさまざまに論じられてきています。そこで本書では、従来の研究でもいまだ充分に論じられていない秋成の和学上の業績のいくつかについて検討するのと同時に、秋成と同時代を生きた友人や門弟などの周辺人物にも目を向けています。橋本経亮、荷田信郷、礪波今道、池永秦良、越智魚臣、内池益謙、川口好和といった、人名辞典の類に立項すらされていない、あるいは立項されていたとしてもごく簡略な記述しかないような、これまでほとんどスポットが当てられることのなかった秋成の同時代人たちについて、本書では可能なかぎりの一次資料を収集・整理することを通じて、その伝記と和学上の諸活動を跡付けています。結果として、神官、書肆、商人、職人などといった多様な生業を持つ彼ら秋成の周辺人物たちは、それぞれが個性的な人物ではありつつも、従来の研究で秋成独自の特色と考えられてきたもののいくつかが、彼らの間での共通の志向やふるまいであったこと、また秋成の言動についても、そうした周囲の人々の動向を背景に置くことで、より解像度の高い理解が得られることなどが明らかになりました。たとえば秋成は本居宣長を論敵と見なし、くり返し批判していますが、従来ともするとイデオロギー上の対立であるかのように捉えられてきた両者の対立の背景には、秋成周辺での宣長学への関心の高まりがあり、秋成自身もある時期までは宣長学を素直に受け入れていた節があることなどを具体的な資料に基づいて論じています。

おわりに

「上田秋成の時代」という書名は、秋成がこの時代の和学の中核であり、秋成的なものが時代を席巻したという意味ではけっしてありません。むしろその逆で、従来個性的で独自のものと見なされがちであった秋成の行動や思考は、その当時の社会の諸思潮を受け止めた、時代の産物でもあったという側面を強調しようとしたものです。つまり、秋成の思想や学問の形成過程を再検証し、ひいては秋成自身が属していた上方地域の和学の全体像を可能なかぎり把握しようというのが本書の目論みでした。本書では上記したような論点について、具体的な文献資料を挙げて、かなり細かな考証を行っています。専門外の方にとって必ずしも読みやすい叙述ではないと思いますが、秋成のような文学史上のスターはもちろん、その秋成とともに同時代を併走したひと癖もふた癖もある個性的で魅力豊かな和学者たちの表情を、本書の記述の行間から読み取ってもらえたならば、著者としては望外の喜びです。なお、本書により2013年に第6回日本古典文学学術賞を受賞したことを最後に言い添えておきます。

本研究についてより詳しく内容を知りたい方へ

紹介した著書

一戸渉『上田秋成の時代―上方和学研究―』(ぺりかん社、2012)
http://www.perikansha.co.jp/Search.cgi?mode=SHOW&code=1000001595
https://www.amazon.co.jp/dp/4831513113/

著者略歴

  一戸 渉

2010年3月 総合研究大学院大学文化科学研究科日本文学研究専攻修了
2010年4月 日本学術振興会特別研究員PD(~同年9月)
2010年10月 金沢大学人間社会研究域歴史言語文化学系准教授 (~2013年3月)
2013年4月 慶應義塾大学斯道文庫准教授(現職)